平成14年12月20日号
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(H15.11.5大阪大会テーマ)
入会金(2000円)免除の特典
 新規組合員獲得へ協力を

埼玉大会で表彰された生衛中央会理事長感謝状を半田理事長が上道、新谷両氏に伝達
組合は12月5日午後、大阪市北区の大阪駅前第一ビル・神仙閣で、執行部会に続いて今年最終の定例理事会を開催。全すし連の第45回「大阪大会」を来年11月5日(水)にひかえ、組合の組織基盤を強化する必要があるとして、1月から3月末まで3か月間を「組織増強月間」とすることに決定、入会金を免除する特典を設け、新規組合員の獲得に組合あげて努力することになった。
理事会
開会の挨拶で半田理事長は、「埼玉大会で大会旗の伝達を受け、いよいよ来年の大阪大会に向けて準備を本格化する。大阪の名に恥じない立派な大会にするため、これから1年、役員ならびに組合員の皆さんの絶大なご協力を」と要請した。
勤続従業員を表彰
 -府生衛連- 今年も業界の模範として
大阪府飲食旅館生活衛生組合連合会(甚田長治郎会長)の「平成14年度永年勤続優良従業員表彰式」が11月26日午後、大阪市北区の新阪急ホテルに受賞者ら約80人が出席して開かれた。
開会に当たり甚田会長は「業界のきびしい現状を反映してか、受賞者は年々減少し100人にも満たなくなったことはさびしい限り。
そのなかにあって永年同一店舗に勤めてきた従業員の皆さんは業界にとって貴重な存在。今後も業界の模範として店の繁栄に貢献し、業界の活性化に頑張っていただきたい。また従業員を推薦していただいた店主の方に感謝します」と挨拶。
今回、表彰されたのは10年以上同一店舗に勤務した25人に知事賞、同6年以上の57人に連合会会長賞が贈られた。

同一店舗に30年近く勤続し、知事表彰を受けた永田民子さん(吹田支部・なるを)
2002大阪すし祭り
 このパワーを大阪大会へ

若手従業員も動員、役員も一緒にすしの調理を。「商売よりずっと忙しい」と苦笑い
「2002大阪すし祭り」は11月12日、堺市のじばしんで盛大に開催された。毎年秋の恒例行事として、すっかり市民に定着した感じ。この成功の陰には、大阪府・大阪市・堺市はじめ関係各方面、商友会ならびに多くの出展商社、また組合役員、女性部会員の全面的な協力があった。この一丸となった体制をさらに大きく育て、来年の「大阪大会」の成功へ繋げたい。

「自慢料理展コーナー」の出品料理には消費者も関心大、店名をひかえていく人も

消費者参加の「巻ずし教室」は青年委会員らが上手に巻くコツを親切にアドバイス

来場した市民は先ず会場受付ですし券を購入、抽選会に参加できるお楽しみも・・・

この日、売れたすし、鰻丼、マグロ造りは2250食。女性部会員が販売に大わらわ

木津市場有志によるマグロ解体ショーは毎年の人気イベント、会場から何度も拍手が・・・

豪華景品の当たる「大抽選会」、商社提供の折り畳み自転車を当てた幸運な男性(右)も・・・
健康に配慮した“食”を「ヘルシー外食フォーラム2002」
 コンテスト入賞者をたたえる
大阪ヘルシー外食推進協議会(椋本彦之会長)・食を考える国民会議主催の「ヘルシー外食フォーラム2002」が11月27日、大阪市北区の新阪急ホテル・紫の間で開催された。参加者は日頃から外食にかかわっている飲食店、集団給食などの関係者約300人。特に栄養士の関心が高く、女性の参加者が目立った。

今年の応募作品は全部で113点。まず運営会議委員が「ヘルシーメニュー部門」「高齢者向けメニュー部門」「朝食メニュー部門」ごとに審査し88点に絞った。
その全作品の写真、料理内容などを10月25日、「なんばフォーク・ニュースパーク」に展示し、市民よる人気投票を行った。
そのあと、為後氏ら11人の審査委員がエネルギー、脂質、食塩、食品の種類、野菜などヘルシー度ならびに写真とレシピによる評価を総合的に審査し決定した。
その結果、「ヘルシー部門」には藤井寺市・花まる亭の「てまり弁当」、「高齢者向け部門」には堺市・美福食堂の「スペシャル御膳」、「朝食部門」には東住吉区・すし富の「ふるさとの朝」が、それぞれ最優秀賞に輝き、椋本会長らから表彰状とトロフィーが贈られた。


創業天保十二年 吉野すし
 「二寸六分の懐石」3代目が“箱”の原型考案 橋本英男社長(談)
吉野すしの創業は天保12年(1841年)です。それまではここ淡路町で旅籠をやってました。淡路町は歌舞伎とかで有名な梅川忠兵衛の舞台になったとこですけど、水野忠邦が天保の改革をやって、「町人は質素にすべし」とお触れを出したんで、経営が難しなったんですわ。で、初代の吉野屋嘉助がそれまでの経験を生かせる商売をしようということで、すし屋を初めたんですわ。
3代目寅蔵が箱ずしを考案するまでの大阪ずしというのは、下魚を使った押しずしが一般的で、大衆的で値段も安うて、料理というよりも、一時しのぎの食べ物やったんです。ですから、すし屋いうても持ち帰りか出前が専門でした。
3代目が箱ずしを作ったんは、明治の終わり頃です。それまでは1種類のネタを材料に、長方形の木枠で押した棒ずしでした。
それを鯛や穴子、ハモのすり身を入れた厚焼き玉子という立派な材料を使うて、白身、ケラ、焼き身と何種類ものネタを組み合わせて、 二寸六分の木枠で押して売り出したところ、爆発的に売れたといいます。
私はもともと銀行に勤めてたんですけど、30年ほど前に商売を継いだんです。今は大阪ずしの伝統を守っていくのを誇りに感じています。
ただ、このところ材料費が高うなって、穴子など天然ものの魚も手に入れにくくなってきました。加えて今年9月頃から特に不況のきびしさを実感しています。こんなご時世やから、正直なとこ、昔からの味にこだわり続けててええねやろかと、ふと疑問を抱く時があります。
けど、お客さんに「おいしかったで」「また来るわ」と言うてもろたらやっぱりうれしいてね。160年続いた吉野のこだわりの味を、これからも追求していくのが使命やと、心に言い聞かせて頑張ってます。

酢の物、蒸し物、焼き物、煮物、すべてが1枚の箱に凝縮された「二寸六分の懐石」
大阪鮓考 <2>江戸時代以前
 酢が歴史を変えた「なまなれ」から「早ずし」へ
東南アジアで生まれたすしの原型は、稲作とともに日本に伝わった。平安朝の頃の延喜式などには、30近い諸国から様々なすしが朝廷へ貢納されことが出ている。
当時のすしは魚や肉を塩と飯で熟成させた『なれずし(ほんなれ)』。保存期間が長く、一月近い遠距離の運搬に耐えたからだ。飯は粥状になり、食べるのは中の魚や肉だった。その手法は近江の鮒ずしに今も残る。
室町時代になると『ほんなれ』は廃れ、漬け込みを短期間で止め飯の粒と一緒に食べる『なまなれ』が主流となる。1年近く馴れるのを待ちきれない、米がある程度酸っぱくなり、魚にもそこそこ乳酸の味が移ったら食べるようになった。
この『なまなれ』という技法は、近世になっても和歌山県や滋賀県で特に多く、また日本各地でも正月など「ハレの日の食べ物」として、また社寺の秋祭りなど行事に欠かせないものとして引き継がれてきたが、後継者がなくなり、だんだん少なくなっているのが現状のようだ。
18世紀半ばの享保から宝暦年間の文献でも、諸大名からのすし献上は続いた。
『はやずし』が文献に見えだすのもこの時代。鮒の早鮓は「飯に酒1升、塩3合、酢1合の煎じ酒を合わせ、2日ほど漬けて馴らす」とある。寛延年間には、鯖の鮓、鰯の鮓、鮭早鮓が現れる。
鯖鮓は寛延末期、京都で祇園會の時に漬けて客をもてなしたと言う。『はやずし』は、酢の発明によっ