新鮮・採れたて情報 2014.6
「浪速すしの名匠」
岩永孝氏(茨木支部「魚庵すし若」店長)51歳
島根県隠岐島で誕生、父親の仕事の関係ですぐに小豆島へ。卒業後の昭和55年から「魚庵すし若」に勤務し34年。優れたすし・料理技術で毎日カウンターに立つ。
津田賢廣氏(堺支部「鮨匠津田」店主)46歳
「あまから手帳」などグルメ雑誌に何度も登場。独自の「おまかせコース」、完全予約制で会社関係の上客らが多数。衛生指導員として地域の衛生向上にも10年以上活動。
岡田伸行氏(堺東支部「割烹司」二代目)46歳
店は岡田守雄氏が昭和44年に創業。長男の伸行氏は大学卒業後約20年前から店を助け、近年は伸行氏を中心に切り盛り。近畿ブロック技術コンクール、全国技術コンクール(金賞)へも出場、技術講習会の講師として後進の指導にあたる。
「浪速すしの名店」
東支部「株式会社鮨萬」(代表取締役社長・小倉宏之氏)創業360年
正応2年(1653年)に河内屋長兵衛が福島村(現福島区)で鮮魚商を開業後、初代・石本萬助氏が小鯛雀鮨専門店「すし萬」を創業。第15代目・萬助を小倉宏之氏が継承。大阪・東京など全国に「すし萬」「波沙鮓(なみさす)」を27店展開。丸い桶に入れた小鯛雀鮨は箱寿司と並ぶ大阪を代表する名物すし。
阿倍野支部「大松寿司」(店主・岡杜滋子氏)創業58年
「岡輝夫氏が昭和32年に開業、すし屋の仕事が大好きで比類の商売熱心で地域きっての繁盛店だったが、平成24年2月に他界。夫人の杜滋子さんは開店当初からご主人を助け、他界後はご子息とともに店を守っている。
箕面支部「三福寿司」(店主・平岡俊二氏)創業32年
昭和57年に創業、33年目のすし・割烹の名店。長年、食品衛生指導員など通じて業界の自主衛生管理の強化に協力する。平成21年に元支部長が退任し、支部存続の危機にあった時、組合員店を回り組合の必要性を訴え、自ら支部長の責を負うことにより、支部を存続させた功績は大きい。
ちょっとブレイク
すしなにわのグルメライターオヤジのけいちゃんが、
大阪の食事情や地域、お店のお話など紹介します。
NEWSすしおおさか すし屋万歳コーナーよりと食の巷間談義・・・
- 和歌山、日の岬沖で舟にて魚釣り。朝5時頃から出て、昼までひと時の勝負。それが何とアジ、サバではなく赤っぽ、黒ハタ、やいとハタ、黄あら、沖がしら、熱帯の魚も混ざるがすごい高級魚ばかり。その数3人で70匹以上、サイズも30cm超だ。こんな釣果は初めてだ。分かっていればブクブクでも持ってきて、活かして帰れるのに残念だった。近年、和歌山でも魚が釣れず、釣舟旅館もほとんど潰れて、何もすることがないブラブラ漁師達が多い中、おるやんか、おるで、おるんや!
潰れた漁場は10年以上かかったかも知れんが、蘇ったんや。これから大切に、大事に大事に扱ったら、きっときっと前のように、また戻って来てくれる。 - 色々な魚のあら(ハモの骨や平目の骨)などを焼いたもんと椎茸、昆布、かつお等々でダシを引いて、そうめん出汁を作る。間に火入れをせねば三日で味が変わる。ところがスーパーで売っている物は、数日、数か月たなざらしでも何ら変化ない。大人が食べるには少々良いかもしれないが、防腐剤は子ども、幼児には危険だ。
どこでも売っているお茶、大量に作られて何がどれだけ入っているのか、規制はされていると思うが、全然変色しない。家では毎日、お茶が沸かされてあって、それを分けて水筒で持って行っていた。そんな普通がなくなって、何かキケンな感じがするのだが。 - きっと間違っていないだろうと思うが、ゲジゲジやクモ、ヘビ、たこ、いか、うつぼ達も地球上に生命をいただいている生き物全部、自分達は何不自由なく幸せに生きてるし、家族みんなで楽しく生活できている。
反対に、変な格好をした人間達が地球を滅茶苦茶に蹂躙し、微妙なバランスを壊している。今に神の怒りがくるぞ。言葉が無くても文字が無くっても、臭いや仕草で何でも伝わる。テレビもパソコンもケータイも要らん。それでええやんか。人間さんは一体これ以上、何をしようと思ってんの?